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若手だった頃、失敗から学んだ「報・連・相」の本当の意味

落ち込む男性
落ち込む男性

こうして工場全体を見渡す立場になると、若い従業員たちの頑張りや、時には危なっかしい姿に、自然と目が向かうものです。彼らを見ていると、ふと、自分自身の若手時代を思い出します。

今の私からは想像もつかないかもしれませんが、私も若い頃は生意気で、怖いもの知らずで、そして、たくさんの失敗を重ねてきました。その中でも、今でも思い出すと背筋がひやりとするような大きな失敗があります。

それは、社会人の基本と言われる「報・連・相」を軽んじたことで招いた、手痛い失敗でした。今回は少し恥を忍んで、その時の話をしようと思います。

「これくらい大丈夫だろう」が招いた大失敗

あれは、入社して数年が経ち、仕事にも慣れて少し自信がつき始めた頃のことです。私はある製品の製造ラインで、材料を混ぜ合わせる重要な工程を任されていました。

その日、いつものように機械を動かしていると、計器の数値にほんのわずかなブレがあることに気づきました。「ん?少し粘度が高いか…?」。一瞬そう思ったものの、許容範囲の誤差でしたし、何より自分の腕に少し自信があった私は、「これくらいなら自分の調整でカバーできる。わざわざ上司に報告するほどのことじゃない」と判断してしまったのです。

それが、すべての間違いの始まりでした。
私の「微調整」も虚しく、そのわずかなブレは後工程に進むにつれて大きな歪みとなり、結果として、その日そのラインで製造した製品の大部分が、出荷基準を満たせない不良品となってしまったのです。

ラインが停止し、先輩や上司が駆けつけてきて、原因が私の判断ミスにあるとわかった時の、あの重苦しい空気は今でも忘れられません。叱責の言葉よりも、会社に与えた損害の大きさよりも、何より辛かったのは、私を信頼して仕事を任せてくれた先輩たちの、がっかりしたような、悲しい顔でした。自分の未熟さと過信が、ただただ情けなかったです。

叱られた後に気づいた、「報・連・相」の本当の意味

もちろん、上司にはこっぴどく叱られました。ですが、その上司は後で私を呼び出し、こう言ったんです。
「お前の判断力を疑ってるんじゃない。だが、なぜ相談しなかったんだ。お前が一人で責任を負う必要なんてない。俺たちはチームだろう」と。

この言葉で、私はハッとしました。
当時の私は、「報・連・相」を、どこか「できない奴がやること」「上司に管理されるための面倒な手続き」くらいに思っていた節があります。「相談する=自分の無能を認めること」だとさえ感じていました。

でも、全く違ったのです。
「報告」は、自分の仕事を円滑に進めるためだけじゃない。チーム全体に「順調だよ」という「安心」を共有し、万が一のトラブルの芽を早期に発見するための「センサー」だったのです。

「連絡」は、関係者全員が同じ地図を持って同じゴールを目指すための「コンパス」の役割を果たしていました。

そして「相談」は、決して無能の証ではなく、一人では乗り越えられない壁に直面した時に、チームの経験や知恵という力を借りるための「命綱」だったのです。

それに気づいた時、私は自分の考えがいかに浅はかだったかを思い知りました。「報・連・相」は、自分を縛るルールなのではなく、むしろ未熟な自分を守り、チームを強くするための最高のツールだったのです。

あの時の失敗は本当に辛い経験でしたが、あの失敗がなければ、私はきっと独りよがりな仕事の進め方を改めることができなかったでしょう。

今、工場長として若手社員たちに口を酸っぱくして「何かあったら、すぐに報連相してください」と言うのは、彼らに私と同じ轍を踏んでほしくない、という思いからです。迷ったり、不安に思ったりしたら、どうか一人で抱え込まないでください。我々ベテランは、皆さんが思うよりずっと、頼られることを待っているものですよ。

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